週刊少年マガジン(2026/1/21発売)掲載の漫画 盤上のオリオン最新話の感想と考察をお届け。
以下、ネタバレありますので、ご注意ください。
盤上のオリオン 第85話 最新話 あらすじ
前回までのあらすじ
三段リーグ、第12戦
二宮夕飛(タケノコ) vs 生方橙和(ブルーアルパカ)
憧れの電脳棋界四天王との対戦。
二宮は生方に盤上で語りかける。
深遠で深淵なる一手。
生方も覚悟を決める。
生方「私は胸を借りに来たんじゃない!」
生方「彼らと戦いに来たんだ」
生方「駒音を鳴らせ」
兎の巣穴
ランドセルを背負って将棋会館へ来た生方。
事務員さん「この子が奨励会に入りたいって。」
小学生で奨励会の門を叩いた生方。
自分の巣穴からはい出させてくれた電脳棋界四天王。
憧れの人との対戦。
これでもう十分夢は叶った。
馬取りを放置してギリギリのタイミングでつっ込んでくる。
夕飛「踏み入れて来たな」
夕飛「兎の巣穴に」
夕飛「僕らの世界に」
胸を借りる!?
駒音が鳴る
力まかせに粗雑に指してるわけじゃない
だが美しく
悲しく
鳴る
生方「私は棋士になれなくたっていいんです」
電脳棋界四天王に会うために奨励会に来た。
生方「私のゴールなのに」
木佐貫の想い
6三歩で繋ぐ。
夕飛「イヤな所を突いてくる!!」
木佐貫「怯むな 見切れ うまく凌がれた でも 逃がさない」
木佐貫「でも流石や」
木佐貫「二宮は全てを受け止めてくれる」
木佐貫「悔いは残すな」
木佐貫「行け 行け 行け!!行け生方」
深淵
生方「棋譜から情景があふれてくる」
生方「盤面から 感情があふれてくる」
ここは深淵 暗く深い 81マスの穴の中
鬼の棲む場所
生方「遊戯に狂った鬼の住む鬼ヶ島」
生方「モニターに現れた4つのアイコン」
その兎は私を連れ出して
深淵は優しく広がっている
盤上のオリオン 第85話 X(旧Twitter)での反応
#盤上のオリオン 最新話更新!
四天王を追いかけ、ここまで来た生方。
運命の対局から、彼女が感じるものとはーー。「盤上のオリオン/【第85話】」マガポケ https://t.co/hcrDOPfjPa pic.twitter.com/p0LMUrVt6A
— 盤上のオリオン&四月は君の嘘&さよなら私のクラマー公式@週刊少年マガジンで新連載! (@shigatsuhakimi) January 21, 2026
『盤上のオリオン』、ネット将棋のコテハンと奨励会で再会できて嬉しい!みたいな話をずっとやってない?
— BIG LOVE (@sidafilicop) January 21, 2026
盤上のオリオン 第85話 感想・考察・まとめ
盤上のオリオン 第85話―「兎の巣穴」から「深淵」へ、少女が見つけた本当の世界
前回、リアルな盤の前で覚醒した生方橙和(ブルーアルパカ)と二宮夕飛(タケノコ)の対局は、さらに深い次元へと進んでいきます。
今回のテーマは「巣穴」と「深淵」。
一見相反するこの二つの言葉が、生方の心の変化を見事に表現していました。
「不思議の国のアリス」と将棋―兎の巣穴というメタファー
二宮が放つ「兎の巣穴に踏み入れて来たな」というセリフ。
これは明らかにルイス・キャロルの名作『不思議の国のアリス』を意識した表現でしょう。
物語を知っている方ならご存知の通り、アリスは白ウサギを追いかけて兎の巣穴に落ち、そこから不思議な冒険が始まります。
現実世界から異世界へ。
日常から非日常へ。
その境界線となるのが「兎の巣穴」なのです。
生方にとって、将棋はまさにその「兎の巣穴」でした。
引きこもっていた自分の部屋という安全な巣穴から、彼女を連れ出してくれたのが電脳棋界四天王―特にタケノコこと二宮との出会いでした。
モニターに現れた4つのアイコン。
それは彼女にとって、外の世界への扉だったのです。
そして今、彼女は自らの意志で「兎の巣穴」に飛び込もうとしている。
ただし今度の巣穴は、元いた安全な場所ではありません。
「僕らの世界」―つまり、将棋という深く険しい世界への入口なのです。
小学生の頃、ランドセルを背負って将棋会館の門を叩いた生方。
その小さな背中には、どれほどの勇気が必要だったことでしょう。
事務員さんに「この子が奨励会に入りたいって」と言われるシーンは、わずか数コマですが、彼女の人生における大きな転換点を感じさせます。
「ゴール」だったはずが「スタート」になる瞬間
生方の心の変化を追っていくと、この物語の本質が見えてきます。
当初、彼女にとって電脳棋界四天王との対戦は「ゴール」でした。
憧れの人たちと対局できただけで、奨励会に来た意味は十分にあった。
棋士になれなくたっていい。
そう思っていたはずでした。
でもこの第85話では、その「ゴール」が揺らぎ始めます。
盤面から感情があふれてくる。
棋譜から情景が見えてくる。
かつてモニター越しに感じていた将棋の面白さとは、また違う何か。
それがリアルな対局には存在しているのです。
「私は彼らに会うために奨励会に来た。あなた達は私のゴールなのに」という言葉。
この「のに」という語尾に、生方自身の戸惑いが表れています。
ゴールだったはずなのに、何かが違う。
もっと先に、もっと深いところに、何かがある気がする―そんな予感が彼女の中で芽生えているのでしょう。
これは誰もが経験する成長の瞬間です。
憧れの人に会えただけで満足していたはずが、実際に会ってみると「この人たちと同じステージに立ちたい」という新しい欲望が生まれる。
ゴールだと思っていた地点が、実はスタートラインだったと気づく。
そんな瞬間を、この作品は繊細に描いています。
駒音が語る物語―「美しく、悲しく、鳴る」
今回特に印象的だったのが、駒音の描写です。
「力まかせに粗雑に指してるわけじゃない。だが美しく、悲しく、鳴る」

この表現、本当に秀逸だと思いませんか?
将棋の駒音には、指し手の感情が乗ります。
プロ棋士の対局を見ていると、決断の駒音、迷いの駒音、自信の駒音、それぞれが異なる音色を持っていることに気づきます。
生方の駒音が「美しく、悲しく」鳴るというのは、彼女の複雑な心情を表しています。
美しい―それは純粋に将棋を楽しんでいる心。
悲しい―それは「これで終わりかもしれない」という予感、あるいは「もっと続けたいのに」という切なさでしょうか。
実際の将棋界でも、駒音は重要です。
かつて、ある棋士が「駒音で相手の心理を読む」と語ったことがあります。
強く打ちつける音は自信の表れかもしれないし、
あるいは迷いを隠すための虚勢かもしれない。
静かに置く音は慎重さの表れかもしれないし、
逆に絶対的な確信を持っているのかもしれない。
81マスの盤上で繰り広げられる無言の対話。
それを音として表現する「駒音」という存在。
深淵は「優しく」広がっている―恐怖から憧憬へ
前回登場したニーチェの「深淵」が、今回も重要なモチーフとして使われています。
しかし、その意味合いは前回とは少し変わってきました。
前回、深淵は「恐怖」の象徴でした。
踏み込めば危険な暗闇。
一歩間違えれば奈落の底へ落ちる、そんなイメージです。
ところが今回、生方は「深淵は優しく広がっている」と感じるのです。

これは驚くべき変化です。
恐ろしかったはずの深淵が、今は優しく自分を受け入れてくれている。
なぜでしょうか?
それは、生方が「独りではない」と気づいたからだと思います。
この深淵には、二宮がいる。
木佐貫がいる。
他の奨励会員たちがいる。
みんな同じ深い穴の中で、将棋という「遊戯に狂った鬼」になって戦っている。
おとぎ話では鬼は退治される悪役ですが、この物語では「遊戯に狂った鬼」こそが、将棋に全てを賭ける者たちの姿なのです。
そして生方は、その鬼たちの仲間入りをしようとしている。
深淵は確かに暗く、深く、厳しい世界です。
でもそこには、同じ情熱を持つ仲間がいる。
だから「優しく」広がっている。
孤独な巣穴から、賑やかな深淵へ。
これが生方の旅路なのでしょう。
木佐貫という存在―見守る者の役割
最近、脇役ながら重要な存在感を示しているのが木佐貫です。
「二宮は全てを受け止めてくれる」「悔いは残すな」「行け、行け、行け!!」
世話役としての木佐貫の言葉が、生方を後押しします。
自分が直接教えるのではなく、二宮との対局を通じて成長させようとする。
これは教育者として、非常に高度な判断です。
生方の才能を見出し、それを伸ばすために最適な環境を用意する。
それが木佐貫の役割でした。
彼は生方が棋士になることを望んでいますが、それを強制するのではなく、将棋の素晴らしさを盤上で伝えることで、彼女自身の意志を引き出そうとしているのです。
「成長したな」と感慨にふける―これは作中の木佐貫の心情であると同時に、この物語を読んでいる私たち読者の気持ちでもあります。
小学生だったランドセル姿の生方が、今こうして二宮と互角に戦っている。
その成長を見守ることができる喜び。
子どもの成長を見守る親のような気持ち。
教え子の活躍を誇らしく思う師匠のような気持ち。
それは確かに「おっさん」的な感慨かもしれませんが、年齢に関係なく、誰かの成長を応援する気持ちは美しいものです。
「階段の途中でこっちに来いよ」―二宮の優しさ
二宮の姿勢も興味深いですね。
彼は生方を単に倒すべき相手としてではなく、「僕らの世界」へ誘う先輩として接しています。
「兎の巣穴に踏み入れて来たな」という言葉は、挑発ではなく歓迎の言葉です。
よく来た、ようこそ、と言っているのです。
そして盤上で、容赦なく全力でぶつかることで、この世界の厳しさと素晴らしさを伝えようとしている。
「階段の途中でこっちに来いよ」という表現が的確です。
生方は今、大人への階段を登っている最中。
その途中で、二宮は手を差し伸べているのです。
一緒に登ろう、と。
これは将棋界全体に言えることかもしれません。
厳しい勝負の世界でありながら、先人たちは後進を育てようとする。
才能ある若者を見つけたら、全力でぶつかりながらも、その成長を願う。
そんな文化が、日本の将棋界には根付いているのです。
繰り返しの美学―「何回も」描く意味
SNSでの反応に「ネット将棋のコテハンと奨励会で再会できて嬉しい!みたいな話をずっとやってない?」というコメントがありました。
確かにその通りです。
でも、それが良いのです。
人生の大きな転換点というのは、一瞬で終わるものではありません。
何度も何度も、同じ感動を味わい、同じ決意を新たにして、少しずつ変わっていくものです。
生方にとって、二宮との対局は人生を変える出来事です。
その重要性を伝えるために、作者は意図的に「繰り返し」という手法を使っているのでしょう。
毎回少しずつ違う角度から、生方の心の変化を描いていく。
それによって、読者も彼女の成長を実感として受け止められるのです。
音楽でいう「リフレイン」のようなものですね。
同じメロディーが繰り返されることで、その旋律が心に深く刻まれる。
『盤上のオリオン』は、生方の成長という主旋律を、様々なバリエーションで奏でているのです。
情景と感情があふれる盤面―将棋の本質
「棋譜から情景があふれてくる」「盤面から感情があふれてくる」
この描写こそが、将棋の本質を捉えていると思います。
81マスの盤と40枚の駒。
それだけのシンプルなゲームですが、そこには人間のドラマが詰まっています。
プロ棋士の棋譜を並べたことがある人なら分かると思いますが、棋譜には「物語」があります。
序盤の駆け引き、中盤の激しい攻防、終盤の緊迫感。
そして一手一手に、その棋士の個性や思考が現れる。
AIが最善手を教えてくれる時代になっても、人間同士の将棋に価値があるのは、そこに「感情」があるからです。
勝ちたいという欲望、負けたくないという恐怖、美しい手を指したいという美学、相手への敬意や対抗心―そういった人間的な感情が、盤面に表れるのです。
生方が涙を流すシーン。
それは単に感動したからではなく、盤面を通じて二宮の、そして自分自身の感情と向き合ったからでしょう。
81マスの中に、こんなにも深い世界があったのだと、改めて気づいたのです。
まとめ―巣穴から深淵へ、そしてその先へ
『盤上のオリオン』第85話は、生方橙和という一人の少女の成長物語として、非常に完成度の高いエピソードでした。
引きこもりの巣穴から連れ出され、外の世界を知り、そして今、自らの意志で深淵へと飛び込もうとしている。
憧れだった存在が、いつの間にか「一緒に戦う仲間」へと変わっていく。
ゴールだと思っていた場所が、実はスタートラインだったと気づく。
こうした成長は、将棋に限った話ではありません。
何か一つのことに真剣に取り組んだことがある人なら、誰もが共感できる普遍的なテーマです。
次回、この対局がどんな結末を迎えるのか。
生方は本当に棋士を目指すことになるのか。
そして二宮は、彼女にどんなメッセージを盤上で伝えるのか。
深淵は優しく、そして深く広がっています。
私たち読者も、生方と一緒にその深みへと潜っていきましょう。
きっとそこには、素晴らしい景色が待っているはずです。
ちなみに私も、この記事を書きながら「成長したな」と感慨にふけっています。
誰の成長を見ているかって?それは生方であり、この作品であり、そして漫画全体です。
完全におっさんですね。でもいいんです、それが。



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